慶應大学「東日本大震災に関する特別調査」における「原発事故・放射能への不安 文系・低所得層ほど不安・恐怖が拡大」に異議がある。
未曽有の放射能汚染の中、全国の親御さんたちは、不安だからこそ、科学が苦手な人も必死に知識をつけ、多少費用をかけても何とかして少しでも子供たちを被曝から守ろうとしているのに、今回の慶大の発表は、知識がない人たちや貧しい人たちが放射能を不安だと思っているのだ、放射能を不安がる人たちは無知だからであり貧乏だからなのだという、偏ったネガティブなメッセージを、全国の放射能を心配する人たちに対して発信した。
下記に詳細を示すように、この調査は信憑性に疑問があり、しかもその分析も偏見と先入観で誇張され歪曲されている。調査・分析に妥当性のない貴学の発表は、原発・放射能が不安な人は知識がなく貧しいからだ、という根拠のない嘘を広げていることと同じであり、社会的責任のある大学として極めて不適切である。よって、『東日本大震災に関する特別調査』について貴学に訂正を求める。
背景 慶應義塾大学パネルデータ設計・解析センターが調査し分析した結果をもとに、慶應大学は2月15日「東日本大震災に関する特別調査」の概要(第1回)をプレスリリースした。16日にネットセキュリティ総合研究所は同社サイトScanNetSecurityのニュースで
「調査結果、原発事故や放射能への不安は文系・低所得層ほど拡大(慶應大学)」と報道した。
・ScanNetSecurity ダイジェストニュース
http://scan.netsecurity.ne.jp/article/2012/02/16/28445.html記事タイトルは独自ではなく資料中のタイトルを少し短くしたものだ。
・慶應大学プレスリリース
http://www.keio.ac.jp/ja/press_release/2011/kr7a430000094z75-att/120215_1.pdf慶應大学の資料4ページのトピック2には次のタイトルがついている。
「原発事故・放射能への不安 文系・低所得層ほど不安・恐怖が拡大」同ページの文中でも、特徴として下記のように述べている。
「特徴1:原発事故・放射能汚染への恐怖・不安感は、文系、低所得層、非正規雇用者、無業者、未就学児がいる人、東北3県(福島・宮城・岩手県)の居住者ほど高い」資料中のトピック2

まるで文系・低所得者は原発や放射能への知識が足りないから怖がる、もしくは放射能を怖がる人は知識不足だとさえも読める内容であり、文系・低所得者にとっては腹立たしい文である。
そして実際にそれを裏付けるように下記に示す<解釈・含意>として「科学的知識が少ない文系」と明記されている。すなわちこの調査の分析結果の「文系ほど不安・恐怖が拡大」とは『文系ほど
科学的知識が少ないから不安・恐怖が拡大』という意味を含んでいる。
<解釈・含意>
「原発事故・放射能汚染に対する恐怖・不安は、小さい子どもへの影響を心配する親や
科学的知識が少ない文系出身者でより強かったと考えられる。また、
低所得層や非正規雇用者・無業者で恐怖・不安が強かったのは、事故や放射能汚染が深刻化した際に、
費用面の理由で、転居などの対策が取りづらいことに起因しているとも解釈できる」
資料中の解釈・含意
調査結果の信憑性 上記の<解釈・含意>に関して、もう一つ重要な点は「低所得層などが恐怖・不安が強かったのは、事故や放射能汚染が深刻化した際に費用面の理由で転居などの対策が取りづらいことに起因しているとも解釈できる」と述べていることだ。このことは逆に経済的な余裕のために対策を取りやすい高所得層は不安・恐怖の数値が低くなるということだ。
対策を取りたいと考える人は、所得に関係なく『原発事故と放射能汚染の不安』が高い。でも低所得層の不安が高いのは経済的に厳しいので対策が取りづらい。逆に経済的余裕があって『原発事故と放射能汚染の不安』に対して対策を取る高所得層は『当面の不安』が減る。そのため『当面の不安』を調べているこの調査では低い数値になる。この調査では『原発事故と放射能汚染の不安』を調べていることにならない。
単に経済的影響で高所得層の方が対策を取ることができる比率が高いだけなので、『当面の不安』を比較して高所得層の方が不安を感じる人が少ないからといって「低所得層ほど不安・恐怖が拡大」とするのは間違いである。結論として、この調査方法では高所得層の不安の数値が本来より低くなり、高所得層の『原発事故と放射能汚染への不安』はこの調査の数値よりも実際は高いと期待できる。だから調査結果の数値で高所得層と低所得層を単純に比較することは適切ではない。すなわちこの調査結果は『原発事故と放射能汚染への不安』としては信憑性がない。
調査データの分析 下図を用いて、文系と理系、所得層別の分析の問題点を以下に示す。
資料中の図の引用

<文系と理系>
原発事故の不安は震災直後から6月への変化を見ると理系が+8、文系が+8と不安の増加は同じである。しかも直後の理系が若干小さい(−3)ことから増加率は理系の方が大きい。6月調査時点で理系74、文系77で差は3しかない。率で4%である。食料や水の不安でも地震直後から6月への変化で理系+9、文系+10でほぼ同じであり、6月調査時点で理系67、文系71で差は4しかない。率で6%である。不安は同程度であり、直後から6月での増加は同等である。しかも統計誤差も示されていないので、このわずかな差が有意なのかさえ分からない。
文系も理系も高いのに、わずかな差をことさら大きく捉えて「文系ほど不安・恐怖が拡大」とし、理由は「科学的知識が少ない文系」だからとする。これは偏見と先入観により誇張され歪曲された分析である。「文系ほど不安・恐怖が拡大」ではなくて、『文系・理系によらずほぼ同様に不安・恐怖が拡大』ではないのか。若干、理系より文系の方が不安が高いことが有意だとしても、その要因を単に「科学的知識が少ない文系」だからと決めつけるのはあまりに熟慮が足りないと言わざるを得ない。
理系の一人として言うと、私のように原発を信頼していた理系は多いのではないか。しかし理系と言っても分野は細分化されており、みんなが原発と放射線に詳しいわけではない。私も事故直後はまだ日本の科学技術を信じていた。こういうことも理系の不安が低い理由とは考えられないのだろうか。しかし見事に科学技術にも政治にも裏切られた。絶対安全だと言っていた原発で大事故が起きたのに原子力学者は事故の収束さえできず事故後も原発は安全だと宣伝し続ける。放射線医療学者たちは放射能汚染の拡散を防ごうともしないで放射能は安全だと宣伝し続けた。文系の人も同様に原発と放射線をさほど知らずに理系が担う原子力技術を信じていたかもしれない。しかし今は文系理系によらず多くの人たちが日本の原発と放射線の専門家はあてにならないと感じて、子供を守るために必死に学んでいる。
<高所得層と低所得層>
同様のことは所得別でも言える。原発事故の不安は、地震直後から6月への変化では第5分位(高)+8に対して第1分位(低)+6であり逆に高所得の方が不安は増している。しかも6月調査時点で第5分位73と第1分位79の差は6しかない。率で8%である。しかも文系理系と同様、このわずかな差が有意なのさえ分からない。
食料や水の不安は、地震直後から6月への変化で第5分位+9、第4分位+13、第3分位+10、第2分位+8、第1分位+9で不安の増加について貧富による相関はほぼない。むしろ若干、高所得の方が不安は増す傾向がある。6月時点で第5分位65、第4分位71、第3分位69、第2分位71、第1分位75であり、第1分位と第4分位の差はわずか4である。率で6%である。ただし食料や水での第5分位との差だけは10あり、率で15%である。
全般的に見ると所得層によらず多くの人たちがほぼ同程度の不安を感じており、その差は一部を除いてわずかである。しかも震災直後と6月との比較で不安が増加したのは高所得の方が若干高い。
一方で、各時期での比較では低所得層より高所得層の方がわずかに不安が低い数値になっている。さらに食の不安では高所得層の第5分位が特に低い数値である。もしこれらの差が統計的に有意だとしても、『調査結果の信憑性』の章で述べたように、この調査は『当面の不安』を調べているため、高所得層と低所得層の『原発事故と放射能汚染の不安』を比較することはできない。
同じく『調査結果の信憑性』の章で述べた理由によって、高所得層の『原発事故と放射能汚染への不安』はこの調査の数値よりも実際は高いと期待できる。そのため低所得層と高所得層は同じ可能性もあるし、逆に高所得層の方が不安が大きい可能性もある。すなわち、この調査から「低所得ほど不安・恐怖が拡大」という分析はできない。しかし震災直後と6月で『所得によらずほぼ同様に不安・恐怖が拡大』したことは確かである。
おわりに 「原発事故・放射能への不安 文系・低所得層ほど不安・恐怖が拡大」は、偏見と先入観によって誇張され歪曲されている。しかも『原発事故と放射能汚染への不安』ではなくて『当面の不安』で数値が上下するようでは所得層別の調査の意味も大きく失われている。
今は生産者も消費者も苦しんでいる。心配して買わない消費者がまるで『風評被害』の加害者として生産者の敵のように見られたり、苦労している生産者が汚染食品を撒く加害者として消費者の敵のように見られたりさえしている。放射能をこれ以上拡散しないで、きちんと測定するばよいのに、政府の不作為により本来協力し合うべき両者が対立している。このように消費者と生産者の対立的な構図が不幸を産んでいる状況で、今回の慶應大学の誇張され歪曲された分析と解釈は、理系と文系、所得格差で新たな対立的構図さえ生みかねない。
調査・分析に妥当性のない慶應大学の発表は、原発・放射能が不安な人は知識がなく貧しいからだ、という根拠のない嘘を広げていることと同じであり、極めて不適切である。貴学は社会的責任のある大学の責務として「原発事故・放射能への不安 文系・低所得層ほど不安・恐怖が拡大」が間違いであることを認めて訂正すべきである。よって『東日本大震災に関する特別調査』について貴学に訂正を求める。もし貴学が訂正の必要がないと考えるならば、WEB上など公開の場で堂々と反論すべきである。
(補足)トピック2の図へのコメント(1)資料中の図は、右図は単位が(%)であるが、左図には単位が明記されていない。本文を読むと文章から単位は(点)だと分かる。グラフに単位を明記することは当然であり、まして大学が外部に出す公式資料ならなおさらである。
(2)点数の差があまりにも誇張されている。しかも原点が50なのかと思ったらそうでもない。例えば、震災直後の原発事故の不安では第1分位73と第5分位65の差は8なのにグラフでは倍以上の差がある。さらに震災直後の食料や水の不安では理系58で文系61で差はわずか3なのにグラフは倍以上も違う。どこに原点を持ってきているのかも分からない。
2月19日ブログ掲載後の経緯
2月20日、ブログにより公開の場で問題点を指摘したことをメールにて知らせて慶大に訂正を求めた。
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【慶大へのメール】 2月22日、慶應大学から「指摘を重く受け止めて、トピック2に対する補足説明を同日付でHPに掲載した」と返信があった。
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【慶大が一部見直し:放射能への不安は文系・低所得層ほど拡大】